乗り物雑貨ブログ

乗って揺られて観て食べて

急行高千穂に乗って九州のSLを撮りにに行った中学生の頃

昭和46年だったと思います。
同い年の従兄弟がSLファンだったので、私も少しづつ興味が沸いてきたようです。
従兄弟の提案で、九州へまでSLを撮りに行くことになりました。中学2年生でした。

深夜、岡山駅から急行高千穂に乗り、向い座席の、それもリクライニングなどない硬い座席に揺られながら翌朝小倉駅に着きました。

向い座席のおじさんが怖そうな顔つきで、従兄弟との会話も少なく、また、あまり眠ることもできなく、きつかったという思い出だけが残っています。

小倉駅から電車に乗り換えで遠賀川駅にいきました。
そして、室木線(現在は廃線)の8620蒸気機関車を初めて見て感動しました。

私は、当時の写真を全てなくしているので従兄弟の画像になります。
この画像は、遠賀川駅ではないように思えます。

従兄弟は、その後も単独で九州へ行っているので、その時の画像かもしれません。
いずれにしても、初めて見た8620の感動は今でも忘れられないものです。
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イメージ 2




















遠賀川駅から、おそらく折尾駅に戻り筑豊へ向かったのかと思います。
下記の画像は、田川線96000蒸気機関車です。

この場所は今でも覚えています。
田川線に乗り、何駅か進み、いいロケーションがあったので次の駅で降りました。
駅の名前は覚えていません。そして、この鉄橋まで二人で歩いてきました。

鉄橋を渡りながら景色を眺めていたら、レールの間から私が下にもぐれるスペースがあったので、私はここで写真を撮ると言ったのですが、従兄弟は、あまりにも怖いので鉄橋を戻り画像の場所で撮影しています。

私は鉄橋の下にもぐり、SLが来るのを待ちます。
しばらくすると、遠くから、蒸気の音が聞こえてきました。
レールの間から頭を出して撮影に備えます。

9600がやってきました。
私の頭がレールの間から見えるのか、ボーボーと汽笛を鳴らしています。
寸前まで粘って私がSLに弾かれてしまいそうな真下からの画像が撮れました。

シャッターを押すと、すぐに頭をかがめて、真上を貨物列車が通過して行きます。
大迫力でした。現在、そんなことをやれば、かなり問題でしょうね。

イメージ 3




















田川線で、SL撮影を終えた二人は駅に戻り、近くの食堂で夕食を済ませ、駅前にテントを張り、寝る前までローカル駅の待合所で語り合いました。


翌朝は、再び、小倉駅にもどり山陰本線で何駅か向かったところ、海岸線に沿って鉄道が走る場所があったので、次の駅で降りて、そこへ向かいました。

線路沿いに歩いていると保線小屋があり、これなら雨風しのげるなと保線小屋の中にテントを張りました。

さっそく、二人で海岸へ行き、真っ裸で海へ飛び込み、遊んだり、体をあらったりしました。食べ物は、歩いて雑貨屋に行き、食材を調達しました。
この保線小屋がやかに気に入り、ここでは2泊しました。

2日目、保線作業のおじさんが来て、こっぴどく叱られましたが、岡山からSL撮影に来ていると言うと、急に優しくなり、綺麗に使うように、頑張れよとねぎらいの言葉までくれました。

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下記の画像の奥に保線小屋があったように思います。
海岸は、海水浴場でもないので、二人のプライベートビーチでした。

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山陰本線でSL撮影を充分に楽しんだ二人は、小倉駅に戻り、再び。急行高千穂(桜島)で岡山まで帰りました。朝方に岡山へ着きましたが、ヘトヘトでした。
列車泊を含め5泊6日の楽しいい夏休みの思い出でした。

急行高千穂を引いていたEF58に惹かれ、HOゲージではミニ版EF58と貨車2両の走る姿を畳に寝転び何周でも見ていたことを思い出します。

この頃が、一応、鉄道ファンだったのかもしれません。