急行高千穂に乗って九州のSLを撮りにに行った中学生の頃
昭和46年だったと思います。
同い年の従兄弟がSLファンだったので、私も少しづつ興味が沸いてきたようです。
従兄弟の提案で、九州へまでSLを撮りに行くことになりました。中学2年生でした。
向い座席のおじさんが怖そうな顔つきで、従兄弟との会話も少なく、また、あまり眠ることもできなく、きつかったという思い出だけが残っています。
私は、当時の写真を全てなくしているので従兄弟の画像になります。
この画像は、遠賀川駅ではないように思えます。
従兄弟は、その後も単独で九州へ行っているので、その時の画像かもしれません。
いずれにしても、初めて見た8620の感動は今でも忘れられないものです。
この場所は今でも覚えています。
田川線に乗り、何駅か進み、いいロケーションがあったので次の駅で降りました。
駅の名前は覚えていません。そして、この鉄橋まで二人で歩いてきました。
鉄橋を渡りながら景色を眺めていたら、レールの間から私が下にもぐれるスペースがあったので、私はここで写真を撮ると言ったのですが、従兄弟は、あまりにも怖いので鉄橋を戻り画像の場所で撮影しています。
私は鉄橋の下にもぐり、SLが来るのを待ちます。
しばらくすると、遠くから、蒸気の音が聞こえてきました。
レールの間から頭を出して撮影に備えます。
9600がやってきました。
私の頭がレールの間から見えるのか、ボーボーと汽笛を鳴らしています。
寸前まで粘って私がSLに弾かれてしまいそうな真下からの画像が撮れました。
シャッターを押すと、すぐに頭をかがめて、真上を貨物列車が通過して行きます。
大迫力でした。現在、そんなことをやれば、かなり問題でしょうね。
田川線で、SL撮影を終えた二人は駅に戻り、近くの食堂で夕食を済ませ、駅前にテントを張り、寝る前までローカル駅の待合所で語り合いました。
線路沿いに歩いていると保線小屋があり、これなら雨風しのげるなと保線小屋の中にテントを張りました。
さっそく、二人で海岸へ行き、真っ裸で海へ飛び込み、遊んだり、体をあらったりしました。食べ物は、歩いて雑貨屋に行き、食材を調達しました。
この保線小屋がやかに気に入り、ここでは2泊しました。
2日目、保線作業のおじさんが来て、こっぴどく叱られましたが、岡山からSL撮影に来ていると言うと、急に優しくなり、綺麗に使うように、頑張れよとねぎらいの言葉までくれました。
下記の画像の奥に保線小屋があったように思います。
海岸は、海水浴場でもないので、二人のプライベートビーチでした。
列車泊を含め5泊6日の楽しいい夏休みの思い出でした。
急行高千穂を引いていたEF58に惹かれ、HOゲージではミニ版EF58と貨車2両の走る姿を畳に寝転び何周でも見ていたことを思い出します。
この頃が、一応、鉄道ファンだったのかもしれません。