乗り物雑貨ブログ

乗って揺られて観て食べて

最初のマイカー

昭和51年、初のマイカーは、昭和46年式だったと思いますが、マツダカペラロータリーセダン12Aでした。カラーは、うぐいす色のような薄緑でした。

当時19歳、かっこよく言えば、今で言う浪人生なんですが、大学に行きたい訳でも、勉強などする気もなく、毎日、パチンコ屋通いでした。まぁまぁ、毎月儲かっていたので、ミニトレ50で立ち寄った中古車屋に、このカペラがあり、諸経費込みで28万円位でしたから、即決購入となりました。
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本当は、オレンジのクーペが欲しかったのですが、手が届きませんでした。
私の相棒となったカペラセダンは、後にフロント6.5J、リアはフェンダーの耳を叩いて7Jの鉄ホイールにメッキのホイールリングなど入れて、アルミホイール風?にしました。

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当時、菅原文太さんのデコトラが流行り、私もトラックに乗りたくて、バイトで4.5トン車に乗ってトラック野郎気取りなんかを楽しいでいました。愛車のカペラには、デコトラがよくやっていた、手を振るアクセサリーなどを、フロントパネルに3~4個付けて、パチンコの台を抑えるマッチ箱をずらっと前面に並べていました。

今思えば、本当のアホ・・・です。

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カペラの全長4.15m、全幅1.58mという数字は、今からすれば小振りですが、当時は、そんなに小さく思ってもいませんでした。エンジンは2ローターで120馬力だったようです。最高速度190㌔とはなっていますが、当時の岡山市には高速道路もないので、建設中の2号線バイパスで160㌔位出して、ああ、怖かった、という感じでした。


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中古車ということもあって、シンクロが調子悪く、1速から2速に入れると、ガリッ!、で、ダブルクラッチ多用でしたし、曲がらない、止まらない車でした。エンジンの吹き上がりは、8000回転以上回ってました。

カペラには、3年程乗ったかと思います。最後の頃は、ダブルクラッチにダブルブレーキ多用で、かなり足の間隔は鍛えられた?・・かもしれません。