乗り物雑貨ブログ

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【岡山】偉人伝 パナマ運河?

いつも通る道、三方を道で囲まれ、埋もれた場所に屋根瓦だけ見える民家がある。

ここ2年ほど何度も、どんな人が住んでいるんだろうと思いながらも、わざわざ見に行くこともなかった。

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この度、後続車もいないので立ち寄ってみた。


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何!  これって史跡・・



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県道から見ると奥にも同じような建物がある




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これは民家なんんかじゃなく、現存するに日本最古の水門らしい。(一の水門)



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奥の水門(ニの水門)を見ると、いい雰囲気



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更に奥に行くとこんな感じになっていた。



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この水門は、水を取り入れる吉井川とその先の倉安川の水位差を二つの水門の開閉で通船航できるという、まさにパナガ運河風なのだ。





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更に驚くことに、この吉井水門から20㌔にも渡る水路・運河は、岡山城近く、旭川まで通じているのだ。

時代を遡ること延宝7(1679)年、岡山藩池田光政が津田永忠に命じて掘削に当たらせ、1年間で完成しているそうだ。

津田永忠という人物、今の岡山を作った男と入っても過言ではない。
その偉業(後楽園、閑谷学校、吉井水門)を世界遺産に登録申請するも結果は、登録とはならなかったようだ。

そんなことより、岡山平野1918ha干拓(東京ドーム450個分、または4㌔×5㌔弱の広さ)、田原用水、百間川他、ネットで調べて見ると、その数々の土木事業等には感動してしまった。

津田永忠 


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倉安川を航通した高瀬船も、この地域から日本全国に広まったようだ。


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旧吉井堰
これより上流の坂根堰、田原堰は近代の多目的堰へと改修により旧堰も解体されたようだが、吉井水門近くの旧吉井堰だけは、現在では役目をはたしていないものの、解体途中で、環境問題により解体が中断、石積み堰が残っている。




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吉井水門の対岸には、明治天皇巡幸記念之樋が建っている。
大巡幸の一つ、1885年(山陽道)の記念樋のようだ。


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地図で見ると備前大橋の北、赤枠の所、上から水門、堰、記念碑



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どうも6月になると、倉安川の水車が話題とはなるようだが、私も含め、吉井水門を知っている県民は少ないかと思う。

実は、この水門も県道の工事において取り壊される予定となっていたようです。有志により取り壊されることなく保存されています。

旧吉井堰も一時、爆破されかけたようです。

津田永忠の偉業、私も順次、この目で確認していくことで郷土愛につながっていけば・・・・・・と思う次第です。