乗り物雑貨ブログ

乗って揺られて観て食べて

【岡山】偉人伝 百間の石の樋・森末の切り抜き

このスポットは、岡山藩郡代(藩の統括責任者)であった津田永忠が手がけた田原用水 第二期工事(1693年頃)における難工事となった場所(2箇所)です。

岡山県指定史跡であるにも関わらず、用水路の改修または新設道路工事におけるコンクリート擁壁の設置などで当時の姿は、部分的にしか残っていないという有様です。

津田永忠の手がけた数々の土木事業の中では、日本三大名園の後楽園、日本資産となった和気の閑谷学校などがあります。ビジュアル的、またその背景までも認知度が高いものあれば、同時期に行われた田原用水第二期工事は、それ以上に困難を極めた工事で、灌漑用水が乏しかった地域に多大な恵みを与え、偉大な事業であっても原形を崩したり、認知を高める作業にも力を注ぐことなく、ひっそりと現代の風景にと溶け込んでしまっています。

さて、この私も今まで知らなかった事は大いに反省してスポット紹介にはいります。

①百間の石の樋
イメージ 1

吉井川に沿って突き出た熊野の岸険(ほき)と呼ばれた岩壁を掘削して田原用水を通水させた箇所。その長さが90間(約180m)に及ぶことからその名がついています。
当時の工事では種油による火で岩質を弱め、岩を削っていったといわれています。
岩肌のデコボコが、当時の難工事を物語っています。(赤磐市徳富)


イメージ 2

山陽本線万富駅の北東にあります。
県道を東に向かって走ると、山陽道手前に用水路へと下る小道があります。
吉井川に沿って突き出た熊野の岸険(ほき)は、どうやら県道の下に埋まってしまったようです。

イメージ 3
先ほどの場所から県道を少し進むと、左カーブ頂点に突然ガードレールが切れ、駐車できるスペースがあります。

イメージ 4

駐車スペースには、小さい石碑だけがポツンと建てられています。


イメージ 5

県道と用水の間に小道が造られ、そこから岩肌を見ることができます。
こちらの小道側も上部がコンクリート擁壁となっています。
用水の両側とも岩肌を残しておいて欲しかったです。

先ほどの石碑があった場所は、用水路の両側がコンクリート擁壁となっており、山側も中間部分が原形をとどめていません。



②森末の切り抜き
イメージ 6

百間の石の樋により万富(岡山市東区)まで来た用水を瀬戸(岡山市東区)まで送るには森末にある台地を通さねばなりません。

そこで台地を10m程掘り下げ、およそ400mの長い溝を造ることになります。
この地域は、粘土岩地質だったことで崩れやすく、とても難工事となったようです。
ここで3年余りの歳月を要しているようです。

画像右、フェンスの横にかわいい石碑が見えますか?
案内表示は、それだです。

実際の田原用水の上にはコンクリート蓋(草が生えている部分)がかけられており田原用水はこの方向から見ることができません。



イメージ 7

橋の反対側(東側)から望むと、こんな感じです。



イメージ 8

フェンスが邪魔して文字も見えにくいです。



イメージ 9

江戸時代に完成した田原用水の難工事場所と書かれています。
難工事場所と言えど、今では道路も造り、高いコンクリート擁壁そして水路にはコンクリート蓋、どこにでもあるような単なる田舎の景色、おなさけ程度の石碑がポツリ

この石碑を見ていたら、地元の車が通り過ぎ、私が何をやっているのだろうと不思議そうな顔をしていました。



イメージ 10

地図の右上星印が「百間の石の樋」、左下星印が「森末の切り抜き」です。

これ以上、原形を崩さないよう願いたいです。