乗り物雑貨ブログ

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死亡時期がわかる・・・

30年ほど前のことだったか、書店で「自分の死亡時期がわかる・・奇門遁甲」という本が目に入りました。
 
まえがき部分を思い出すと・・・まだ太陽が上がらぬ、うす暗い朝、時刻は午前4時半頃、のちに名軍師と呼ばれるようになった若い頃の諸葛孔明が川沿いの道を歩いていた。橋のたもとまで来ると釣りをしていた老人に声をかけられた。
 
「おい!、そこの若者、おまえは天下を取ってみたいか?」、諸葛孔明は「はい」と答えた。老人は「ならば、10年後、同じ時刻にここに来い」と言われた。
 
その時の絵を思い出し、メモ書きしてみました。↓
 
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まえがき部分を完全に覚えてはいませんが、このような内容から始まりました。
 
諸葛孔明は、老人との何気ない会話を覚えていたのか、10年後、同じ時刻、同じ場所にいきました。老人は10年前と同じように釣りをしていました。「おお、来たか」
 
これが天下をとれるものだと、巻物を諸葛孔明に渡し老人は、その場をたちさりました。
 
渡された巻物が「奇門遁甲」といわれる占星術でした。この内容を知る者は、世の中に一人しかなく、死期を迎える前に、次の一人に手渡すものだったわけです。
 
この巻物を手にした諸葛孔明は、名軍師として、ある時は敵の大将の死期までわかり戦をすることなく勝利を収め、気象まで把握して戦略をたてるなど、名軍師として名が知られるようになったということです。
 
 
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さて、世の中にたった一人しかいない巻物の持ち主が誰かとわかるわけでもないのですが、その巻物を何らかの事情で手に入れた、もしくは、世の中の一人に選ばれた筆者が、書籍にて公開したというわけです。
 
もちろん、世の中に出回っている奇門遁甲は、何らかの情報が一部もれたもので真実のものではないとも書かれていました。
 
本当かいな?、気味が悪い本だと思いながら購入しました。
 
自分の死亡時期を調べたい気持ちはありますが、何歳になるのか、わかってしまうのは怖いですよね。
 
まず、親の生まれた時刻などを何けなく聞いて死亡時期を調べてみました。
 
父親は、平均的な年齢80歳位だったかと思います。母親は100歳前位で、えらい長生きするんだなぁと感じたものです。実際、父親は78歳で亡くなりました。母親は現在91歳で、痴呆症ではありますが、元気です。
 
さて、私ですが、なんと死亡時期は57歳と出ました。当時30歳前にして、結構きつい結果だなと思ったものです。
 
ただ、本当の死亡時期がわかったとしたら、逆に活用もできるものだと思ったこともあります。例えば、酒を飲みすぎて脈拍が160以上継続した時でさえ、私はここでは死なないわけだなんて思っていましたし、その他、仕事柄クレーム対応でかなりやばい場所、状況に追い込まれても、ここでは殺される、死ぬこともないんだとか、まぁ、気楽なものでした。
 
かぞえの57歳になった頃、不整脈が続くようになりました。医者に診てもらうも生命には問題ない不整脈とはいわれるものの、症状は回復しませんでした。
 
そういえば、50歳でこの先命が短いかもと、では、知人に誘われた不動産事業を起こすも、当初の話と全く違い、うまく利用されただけ、結局、岡山に帰り、散々な目にあったストレスからきたものかなどと思うも、やはり、気になり日赤病院で精密怨嗟を受けると狭心症だとわかりました。
 
カテーテル治療という、手首の動脈から細い管を心臓まで通し、狭くなった血管にステントというバネで広げる器具を入れるものでした。手術は1時間程度、麻酔は手首にするだけで意識はバリバリに鮮明です。
 
意識バリバリ鮮明の私は、管が肩あたりを通過して心臓に向かうのまでわかりました。全身麻酔をかけないのは、血栓が飛んで脳梗塞などを起こしてグウグウ眠っているようにみえるのと、実際に眠っているのと区別がつかないからだそうです。
 
狭くなった心臓の血管とステントの状況は、下記の画像のとおりです。
 
 
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現在、私は59歳、まだ生きているようです。もしかすると、狭心症が早めに発見できなかったら、心筋梗塞で死んでいた?かも、なんて思うこともあります。
 
もしかすると、占星術は、現代の医療である程度克服できるのか、と、まぁ、気楽に考えたりもします。
 
さて、占いから解き放たれた私は、明日死んでしまうのか、すごく長生きできるのか(今の生活習慣じゃ無理でしょうが)、ここから、ある意味、面白い展開になるかもしれません。
 
大病で生死をさまよった人とは違いますが、自分の死というものが頭の片隅に少しでも残り、時々でもそれを考えることがあったのは、ある意味、よかったとは思っています。
 
さて、さて、これからは、一応、健康には気をつけよう~かなと。