幻の名車 ニッサンロータリー
雑誌ドライバー 1977年11月号より
車としての評価を受ける前に、様々な事情から生産に至らず数奇な運命をたどった幻の名車
車としての評価を受ける前に、様々な事情から生産に至らず数奇な運命をたどった幻の名車
日産はNSU・ハンゲル社からロータリー技術を昭和45年に導入、2年にわたる研究の結果、性能的にも耐久性も目標を達成したとしてロータリーをサニーエクセレントに積んで昭和47年モーターショーに出品
500CCの2ローター 120馬力、雑誌の取材では180㌔のメーターを軽く振り切ったという。
翌年の昭和48年秋には、大衆のスポーティーカー、おそらくシルビアにロータリーを載せてデビューされると思われていたが日産ロータリーはベールを剥がれぬまま消えてしまった。
500CCの2ローター 120馬力、雑誌の取材では180㌔のメーターを軽く振り切ったという。
翌年の昭和48年秋には、大衆のスポーティーカー、おそらくシルビアにロータリーを載せてデビューされると思われていたが日産ロータリーはベールを剥がれぬまま消えてしまった。
これは昭和48年秋に襲った石油ショックの影響で全世界が省エネの流れとなる中、あえて燃費の悪いロータリーを出すことは戦略的に不利となるからだろうと言われています。
シルビアロータリー・・・残念